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天体としての身体


 本日より岡山でのクリエーションがスタートする。

 「クオリアの庭」の全構想を初めたのは、2013年の末頃だったと記憶している。一年半以上を経て、構想の基となったダンサーが一同に会する。もちろん個々のダンサーとはそれぞれ一緒に仕事をしたことはあったが、グループでのクリエーションは今回が初めてのことなので、個人的には何故だか「生まれて初めて」という感覚が強い。単純に新鮮であるということなのかも知れない。

 参加ダンサーは当サイトのARTISTを参照してもらえればいいが、このダンサー達の同作品においての共演が観れるというのは、意外に国内においても貴重なのではないかと思う。誰が好き好んで国内のこれだけ離れた都市からダンサーを集めてクリエーションするだろうか。それも各都市においてクリエーションとプログレス公演をするなど。制作的にも、作品的にも、その発想を実現することはなかなか難しいとは思う。それは分かる。ただ、作品の構想とその発端がそこにある以上、それをするしかない。

 ただ、それを、するだけ。

 目的は往々にして後付けであり、必然性はすでに過去のものだ。意味を求めるなどもってのほかである。長い間天体観測をしていれば、そのような考えに基づくようにもなる。我々は只の存在でありながら、同時に確固たる存在としてここに在る。天体として、肉体としての行為が全てを先行している。発想を止める手立てはどこにもないのだ。

 まあ、晴れた夜には満点の星空を眺めてみようじゃないか。

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