閉塞する宇宙に
常同行動と呼ばれるものがある。自閉症や精神分裂症によって、同じ行為や行動を目的なく繰り返すというもので、知られているところでは動物園の檻の中の動物が同じ場所を同じ順序で行き来したり、首を振り続けたりする行動もそれである。
私は近頃自宅の仕事場で長い時間デスクに向かって作業をするということが多いのだが、長時間画面と向き合っていると身体がどうも固まってしまうので、気晴らしによく散歩に出かける。散歩のルートは最初の頃はあっちへ行ったりこっちへ行ったり、今日は昨日と違う道を行こうとか、出鱈目に歩くことが多かったのだが、数を重ねてゆくうちに道順にある規則性が生まれてきて、最近では多少の違いもあるが、およそ3つのルートに収まっている。中でもそのうちの1ルートは頻繁に歩き、ほぼ毎日の日課のようにもなっている。
檻の中の動物達がどのような感覚思考で常同行動を起こしているのかは、専門家ではないので詳細を判断することはできないが、生活環境と自然環境との決定的な違いからくるストレスであるとは言われている。それを安易にヒトに当てはめることには語弊が生じるかもしれないが、ヒトもその多くは常同行動の中に生きているような気もする。朝起きて家を出て、仕事場に向かい、決められた仕事をして、場合によっては決められた営業ルートや配達ルートを周り、仕事場から家に戻る。ヒトによっては毎日同じ他人に会い、同じような会話を繰り返したりもする。これを常同行動と言ったらやはり無理があるのだろうか。
檻の中に閉じ込められた動物は閉塞された宇宙に置かれているのと同じだ。自然界にいる動物の宇宙は実際の(無限)宇宙に即している。自然界の動物が広大なサバンナにおいて長距離同じルートを移動するという事実もあり、やはり檻の中でもそのような行動が本能として現れるのかもしれない。ただ、自らの置かれた場所があまりにも狭く閉ざされているというだけで、感覚思考に司る身体行為としては同じであると言えなくはない。決定的な違いは自らの置かれた宇宙が、無限に開かれているか、人為的に閉ざされているかなのだ。
閉ざされた宇宙はおそらく其処彼処に存在している。
私は明日も同じルートを、散歩と称して移動する。