多様性の世界
前回のブログ更新から随分と時間がかかりましたが、やっと言葉を取り戻せたような気がしている。京都公演終了後に、ある意味で言葉を失ったと言っても過言ではない。 ひと月以上を経て、いつしか年も明けていて、横浜公演までひと月を切ったこの時点で、当ブログによる言語表現を再開します。...
関係のない意思
岡山でのprogress.3「float_」公演を終え、数週間。 休む間もなく京都progress.4「past_」に向けての下準備が続く中、京都の本番まで残すところ後10日となる。個人的な体調の変化なども相まって万全とは言えない状態ではあるが、時間は刻々と歩みを止めずに移...
非存在の存在
岡山での1週間のクリエーションと2日間の公演の間、私は常に作品を介して、パソコンの画面や、ノートに書かれた文字や、スタッフの言語、光や音、オブジェクト、時間、そしてダンサーの身体と向き合ってきた。作品を作るということは、そこに起こる事象と向き合うことであるのだが、今回のクリ...
意識の移動
1週間はあっという間に過ぎ去った。その間世界でどれだけの出来事が起きていたのか、全くわからない。これほど世界に興味をなくした1週間はなかったように思う。クリエーションの合間に会場のすろおが463の前に座り、通りを眺める程度が私と世界を繋ぐ1点だったといっても過言ではない。...
天体としての身体
本日より岡山でのクリエーションがスタートする。 「クオリアの庭」の全構想を初めたのは、2013年の末頃だったと記憶している。一年半以上を経て、構想の基となったダンサーが一同に会する。もちろん個々のダンサーとはそれぞれ一緒に仕事をしたことはあったが、グループでのクリエーション...