top of page

主義主張


 民主主義が死んだとか言われている。そのようなキャッチコピーには惑わされることのないように心がけているが、現実はそんなものが氾濫している時代でもある。簡単に言語化されるものほど、その重みに欠けているものはない。

 また、国会周辺が賑やかしくなっているが、そこで呪文のように繰り返されているフレーズが縦ノリのリズムを伴っていることにも、多少の違和感を感じる。意思を言語に置き換えて伝えているのか、身体のリズムによってある種のトランスで扇動しているのか、テレビ画面からそれを知る術はない。

 冒頭に戻るが、イデオロギーは生き物ではないので死ぬことはない。そもそもそれが生まれているのかどうかすらも判断することは出来ない。それは大いなるキャッチコピーと言えなくもない。

 資本が世界を動かしているのだということは辛うじて実感できるが、自らの作品は資本主義に拠らないようにしなければならないとは常々思う。作品と資本、どちらが先に立つかは言わずもがな、資本がなければ作品に到達出来ないというのは作家の欺瞞である。

 ただ、そんな時代でもある。巨大な経済資本によって作品は流通される。作家はその資本に群がる。やがては作品のための資本獲得が先行し始める。それが民主的資本主義経済という言葉で整理区分されて、正当化される。ただ、それを間違っているとまで断言するものではない。

 経済資本に対して、関係資本という言葉がある。預金残高が一億ありながら関係性がゼロであるヒトと、預金残高がマイナスでありながらも関係性によって物事を動かすことが出来るヒト、それは資本によって生み出される作品をとるか、作品によって資本を生み出す環境をとるか、その違いとなって現れる。

 確かに資本は世界を動かしているのかも知れない。ただし、資本はヒトを動かすものではない。全くその逆である。

 私は関係資本による表現主義をとる。

 
Featured Posts
Recent Posts
Search By Tags
Follow Us
  • Twitter Social Icon

Copyright © M-laboratory  Works-M and photographers all right reserved.

bottom of page