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移動について


 個人的な話ですが、僕は身体に関わる表現活動を始めてから20年ほど東京で暮らしていたのだけど、2009年10月に東京から岡山に移住しました。移住を決めた当時は「何故移住するのか?」と多くの人に質問され、それは移住した後も同様に繰り返された。そして5年経った今でもそのような質問を時折耳にする。これまでに何度その質問に答えてきたかは分からないけれど、質問される度に僕はその人に言葉にならない質問を返してきた。

 「何故あなたは移住しないのか?」

と。

 「何故あなたは移住するのか?」と「何故あなたは移住しないのか?」。この二つの問は対極にあるように思えるが、その実両者の関連性を見極めることは困難である。見方によっては、それはほぼ同意であるとも言える。そして全く無意味であるとも言える。

 移動するという感覚を持ち備えていない(あるいは失った)ヒトには前者の質問しか自らにとって具体的ではないし、移動する感覚を有するヒトにとっては前者の質問はそれ自体の発想が理解できない。ぞの質問は、ヒトに対して「あなたは何故ヒトであるのか。」と質問するのと同じことだからだ。さらには移動するのが当然の者にとっては、移動しない者の方にこそ疑問を抱くものである。

 上記のような瑣末なやりとりは多数、あるいは一般的なロジックが無意識に勝るものでもある。だから「あなたは何故移住するのか?」という質問は耳にしても、「あなたは何故移住しないのか?」という質問は聞かれることがない。

 またこれは個人的な見識になるが「あなたは何故移住するのか?」という質問をするヒトは、どこかでその行為自体を本来は自身が欲しているということが多いようにも思う。だから移住者にそのような質問を投げる。知りたいからだ。「何故自分は移住したいのか」を。そして「何故それが出来ないのか」を。

 ホモ・サピエンスは10万年前(諸説あり)に南アフリカから移動を始めた。世界が人類で埋め尽くされても、ヒトはどこかへ移動を続けるものである。

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